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2009年1月13日口頭意見陳述

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この3年間の大きな変化と旧態依然とした請求形態

今回の更新請求が行なわれる前、わたしたちは「今回は一体どのような請求が行なわれるのだろうか」と、強い関心を持って公安調査庁の出方を見守っていました。なぜならば、前回2006年の更新決定以降のこの3年間、麻原開祖においては、控訴審で訴訟能力をめぐる大きな争いを経て死刑判決が確定したこと、教団側においては、代表であった上祐氏がグループを率いて集団脱会したことなど、教団をめぐる状況に大きな変化が起きていたからです。
しかし、実際にふたを開けてみて、わたしたちは逆の意味で驚きました。それは、状況の大きな変化をよそに、これまでと全く同じ請求形態、つまり、

「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」

を請求対象として、あくまでも麻原開祖を「主宰者」と位置づけ、また、「ひかりの輪」についても、麻原開祖が主宰するその団体の「内部組織」と位置づけて、今回の請求が行なわれていたからです。
激変とも言えるここ3年間の状況の変化をよそに、従来の枠組みをそのまま踏襲した今回の請求形態は、あまりにも、わたしたちの実感や実態から懸け離れたものでした。そして、この大きな矛盾を論理的に整理していくことに、今回のわたしたちの反論作業の大部分が費やされたのです。

 そもそもこの団体名は、最初は、95年の破防法請求手続で公安調査庁が用い始めた名称です。そして、公安審査委員会は、97年1月の破防法棄却決定において、

「本団体(※つまり、「麻原開祖が主宰」する団体)は,社会通念上は宗教法人『オウム真理教』を中核とし,これと不即不離の関係にあるものと解するのが相当である」

と認定しました。
  確かに、破防法の弁明手続では、麻原開祖が代表者として出頭し、2度にわたる意見陳述を行ないましたので、少なくともこの時点では、公安審査委員会の認定どおりだったかもしれません。
しかし、その後、96年末頃から、麻原開祖は、法廷において、いわゆる不規則発言を行なうようになり、弁護士との接見にも応じなくなっていきます。一方で、教団側も、2000年2月に「オウム真理教」から「宗教団体・アレフ」へと名称を変えるとともに、代表者の変更をはじめとする大幅な組織の再編を行ないました。
さらに、前回期間更新が行なわれた2006年から現在に至るまでの3年間は、麻原開祖と教団をめぐる状況は、これまでにない大きな変動に直面しました。

この3年間の状況説明

  当時進行していた麻原開祖の控訴審は、2006年3月、東京高裁が棄却し、9月には最高裁で死刑判決が確定しました。そして、この間に表面化したのは、麻原開祖に訴訟能力があるのかどうかという、精神医学的な問題でした。この問題は、最終的には、麻原開祖に訴訟能力はあるというかたちで裁判上の決着がつきましたが、裁判所側・弁護側双方の精神鑑定医の大半が、麻原開祖に重度の拘禁反応があることを認めていました。また、裁判所の決定自体、麻原開祖が「精神活動の低下を来している」「現在の症状は拘禁反応である」という点については認定しており、その訴訟能力についても「最低ぎりぎりの線までに落ちていたとはいえない」という程度の認め方でした。

 一方、教団のほうは、2007年3月、代表であった上祐氏が200名近くの信者を率いて集団脱会し、新たに「ひかりの輪」という別団体を立ち上げるという大きな出来事がありました。このような集団脱会は、20年に及ぶ教団の歴史の中で初めてのことで、これによって、97年の公安審査委員会の認定、つまり「本団体(※つまり、「麻原開祖が主宰」する団体)は,社会通念上は宗教法人『オウム真理教』を中核とし,これと不即不離の関係にある」と認定したこの「不即不離の関係」が、消滅したのです。

麻原開祖が主宰する団体の不存在

  このように、ここ数年のうちに麻原開祖と教団側双方にこれほどの大きな変化が生じたにもかかわらず、公安調査庁は従来の枠組みをそのまま踏襲して、十数年前と同じ団体の規定を当てはめようとしています。しかし、「麻原開祖が主宰する団体」という規定は、あらゆる意味で実態から懸け離れており、今となっては、もはや有効期限の切れた規定であると言わざるを得ません。

 つまり、この団体名である「麻原開祖が主宰する団体」は全く実体のない団体であり、当然、わたしたちの教団「Aleph」は、「麻原開祖が主宰する団体」の内部組織でもありません。麻原開祖とは、直接的にも間接的にも、物理的に連絡を取ることができない状態にあり、教団運営上の指示やアドバイスを受けたことは、十数年以上もの間、一切ありません。しかも前回2006年の更新決定以降、麻原開祖には、訴訟能力が疑われるほどの重度の拘禁反応が生じていることが裁判において明らかになったのです。
長期間物理的に隔絶され、しかも精神的能力に相当の障害をも生じさせている麻原開祖が、その状態で教団運営について指示したり、ましてや、千人を超える団体を主宰・代表し、その事務を統括することなど全く不可能です。したがって、公安調査庁が規定するような団体、つまり「麻原開祖が主宰する団体」なるものは、どこにも存在しないのです。

公安調査庁の不十分な調査とまやかしの理論

わたしたちにとって紛れもないこのような現実がある一方、公安調査庁は、まるで全く別の世界で調査活動を行なってきたかのようでした。
まず、公安調査庁が今回の請求で提出したすべての証拠を通じて、麻原開祖の現状について調査した形跡は全く見られず、当然その証拠も一切含まれていなかったのです。
公安調査庁は、今回の請求において、麻原開祖は「本団体」の「主宰者」であり「代表者」であり、さらに、

「本団体においては、主神であるシヴァ神の化身であり、かつ、教祖であると位置付けられ、絶対的な帰依の対象であるとされている麻原の存在がその存立の基盤をなしている」

とまで言われています。つまり、麻原開祖は、今回の請求の中核をなす最重要証人であるはずです。それにもかかわらず、本来欠くことのできないその証人について、全く無視し、素通りしたのです。
かつて破防法の弁明手続では、やはり同様に、麻原開祖が必要不可欠な最重要証人であったがゆえに、公安調査庁は、東京拘置所内に特別に会場を設けて、2回にわたって本人に陳述させたのです。
このような観点から、わたしたちは「これは証拠隠滅・欠席裁判ではないか」といった主張をまとめ、昨年12月に意見書として提出しました。すると、それがようやく今年になって、公安調査庁は、2006年の東京高裁での控訴棄却決定等をもとに、麻原開祖の訴訟能力が認められていることを主張として提出してきました。
これを見て、わたしたちはまた驚くことになります。決定文を法律雑誌からコピーした、ただそれだけのもので、その他公安調査庁が独自に調査したようなものは、何もなかったからです。
しかも、裁判所の決定で認められた訴訟能力とは、決定文に「訴訟能力が最低ぎりぎりの線までに落ちていたとはいえない」とあるように、弁護人の補助があってかろうじて成り立つ程度の極めて低レベルの意思能力です。これのみを根拠として、高度な判断力が求められる「団体を主宰する能力」があるとする公安調査庁の反論には、何の説得力もありません。
  また、公安調査庁は、麻原開祖が拘置所にいながらにして「団体の事務を統轄」しているのだと主張し、これまでと同様、極めて特異な論法をまた持ち出してきています。すなわち、

「麻原としても、過去における自らの言動に基づいて、幹部構成員らが、現在の麻原の意思を推し量りながら本団体の事務処理を行うものであることを十分承知していることは自明の理であり、その上で、現在も、過去における言動を否定しないことによって、本団体の事務処理を統轄している」

というものです。
しかし、これは従来からの主張を繰り返しているにすぎず、教団が過去に2度訴えを起こした観察処分取消訴訟では、裁判所は、2001年と2004年の判決で、いずれもこの特異な論法を退けています。つまり、「麻原開祖の影響力がある」ということと、「麻原開祖が代表役員である」ということを区別したうえで、麻原開祖の代表者性を明確に否定したのです。その認定は、実際に連絡が可能であり、具体的な指示があるのかどうかという点を基準とし、それらがない以上、代表者たり得ないとしたのです。にもかかわらず、公安調査庁は、裁判所が重ねて否定したこの論法、つまり、「麻原開祖の影響力」と「麻原開祖の主宰者性・代表者性」を混同したまやかしの論法を、今回もまた繰り返しています。

現実からますます乖離する公安調査庁の主張

しかし、このような主張は、以前にもまして全く現実離れしたものになったと言わざるを得ません。今やこれらの判決当時からさらに状況が変化し、麻原開祖の精神的能力、意思能力にも関わる相当の障害が生じていることが明らかになり、その症状がさらに悪化し続けている恐れすらあるのです。意志疎通は不可能ながらも、かろうじて面会できていた一昨年までとは違って、昨年のある時期以降、弁護人が拘置所に行っても、麻原開祖は面会室に姿を現わさなくなったということも報道されています。
2007年11月の時点で、日弁連では、麻原開祖が拘禁反応としての重篤な精神障害に罹患していることを認定した上で、

「施設外の精神科医による診察のうえ、抗不安薬の投与による薬物療法、若しくは医療刑務所またはこれに準ずる施設において治療を行う等の適切な医療措置を速やかに実施すること。」

と治療勧告を行なっていました。にもかかわらず、その後も専門的な治療を受けることなく放置されているのですから、悪くならないほうがおかしいのです。

しかし、公安調査庁はこれらの事実に目を閉ざした上で、麻原開祖が「主宰者」であり「代表者」である証拠として、相変わらず、今から10年も前の、99年の法廷での証言、つまり、自分が「オウム真理教の代表かつ教祖」であると不規則発言の中で述べたことを引き合いに出し、事実上これを唯一の拠り所としています。
しかし、教団では、その後2000年の2月に「宗教団体・アレフ」を発足させ、オウム真理教の代表代行だった村岡達子が正式に「代表」に就任しています。この事実は、「幹部構成員らが、現在の麻原の意思を推し量りながら本団体の事務処理を行う」としている公安調査庁の主張と矛盾しており、公安調査庁の論法に従えば、むしろ麻原開祖が教団を主宰し得ていないことを裏づけるものです。公安調査庁の論理は完全に破綻しているのです。

以上のとおり、麻原開祖が主宰者・代表者であるという、観察処分の請求の根幹が崩れている以上、今回の請求は、現実には存在しない架空の団体を被請求団体として規定しているという、重大な過ちを犯しています。したがって、公安審査委員会においては、速やかに請求を却下するか、さもなければ、公安審査委員会の職権を速やかに発動し、公安調査庁に代わって、今回の請求の最重要証拠である麻原開祖に対する適正なる調査を行なっていただきたいと思います。このいずれかを選択することなくして、今回の更新請求に関する判断を行なうことはあってはならない、わたしたちは考えます。

不当に認定される団体構成員

さて、もう一つの重要な問題は、この「主宰者」の問題、つまり、本当はだれが主宰者なのかという問題を解決しない限り、この観察処分は重大な人権侵害を生み出してしまう、ということです。

 つまり、団体の要である「主宰者」に実体がないとすれば、この観察処分は、何を基準に、また、どのような人たちにまで及ぶのか。「本団体」の構成員を、一体だれが、どのように認定するのか、という問題が生じます。
公安調査庁が発表する「本団体」の構成員の数は、常に、わたしたちが把握し報告している人数と懸け離れたものでした。今回の請求でも、わたしたちAlephが報告している会員数と、ひかりの輪が報告している会員数を足し合わせても、国内で467人、ロシアで172人の隔たりがあり、公安調査庁が発表する数字には遠く及ばないのです。この差は一体何なのでしょうか。
これについては長年、疑問に思ってきましたが、今回の請求で、驚くべきことが明らかになりました。公安調査庁の証拠(証1−5)において、公安調査庁がいう「構成員」がどのように扱われているのかが明記されていたのです。すなわち、

「公安調査庁が把握している構成員の名簿については、これが本団体側に渡った場合、公安調査庁の構成員認定基準や調査能力等が本団体側の知るところとなり、今後の調査に重大な支障を生じるおそれがあるので、本調査書には、構成員名簿を添付しない。」

というものです。これによって、「本団体」側や公安審査委員会にすら明かされない、公安調査庁が独自に認定し、作成している「構成員名簿」の存在が判明したのです。
しかし、「構成員」である以上、当然、観察処分を受けている「本団体」側に報告義務があるわけですから、「本団体」側の構成員報告に漏れがあれば、公安調査庁は「本団体」側に対して、欠けている構成員名や「構成員認定基準」などを示し、正確に報告するよう指導をしなければならないはずです。にもかかわらず、「本団体」側に対してその名簿や認定基準を知られまいとするというのは、本末転倒した話です。この法律が全く想定していなかった事態が生じているのです。

 今回の更新請求書の宛名を見る限り、通知を受けたのは、「本団体」の「代表者」とされる麻原開祖と、「主幹者」とされるAleph及びひかりの輪の代表者のみです。わたしは、Alephの837名の信者を代表し、その権利を守る責任を有しています。上祐氏は同様にひかりの輪の会員について責任を有しています。この二つの団体の人間には、曲がりなりにも「告知と聴聞」の機会が保障されています。しかしその2つの団体に属していない残りの約500名の人たちの人権は、だれがどのように保障するのでしょうか。それ以前に、そもそもそのような人たちが存在していること自体、非常に恐ろしいことと言わざるを得ません。
彼らはAlephにもひかりの輪にも籍を置いていないにもかかわらず、公安調査庁が作成する「無差別大量殺人行為を行った団体」の名簿に、知らないうちに構成員としてエントリーされ、密かに観察処分に基づく調査と監視の下に置かれているのです。もし、「無差別大量殺人行為を行った団体」の名簿に名前が記載されていることが明らかになれば、たちまち本人や家族の就職や縁談にも影響を及ぼすことでしょう。いわゆる「部落差別」の問題と何ら変わるところはありません。
さらに、今回初めて開示された公安調査庁の証拠(「被請求団体が所有し又は管理すると認める土地又は建物について、これを特定するに足りる事項を記載した書面(法第13条)」)によると、オウム真理教あるいはAlephの脱会者の住居の相当数が、いわゆる「教団施設」として認定されていることも明らかになりました。これは、脱会者が「構成員」と認定され、調査・監視の対象となっていることの明確な証拠です。
彼らは、告知と聴聞の機会を与えられることもないまま、ある日突然、自分の家を立入検査される可能性すらあるのです。これは決して絵空事ではなく、Alephにもひかりの輪にも属さない「ケロヨンクラブ」や「人権救済基金」への立入検査というかたちで現実のものとなっているのです。

脱会者に対する憂慮と根拠のない数字

もともと、10年前のこの立法当時、教団を脱会した人あるいは脱会しようとする人たちが、この法律によって不当な人権侵害を被り、社会復帰を阻まれる恐れが強く憂慮されていました。その声を受けて、衆参両議院は、団体規制法の採択と合わせて行なった附帯決議の中に、その問題への十分な配慮をそれぞれ盛り込むことになりました。

「・政府は、この法律により規制処分を実施した団体から離脱し又は離脱しようとする当該団体の役職員及び構成員並びに既に離脱した者の社会的な救済につきカウンセラーの充実などこれらの者の社会復帰に資する体制の整備などの施策を講じるよう努めること。」(衆議院 99年11月17日)

「・本法により規制処分を受けた団体から離脱し又は離脱する意志を有する者に対して、離脱の援助・促進、離脱を妨害する行為の予防、離脱した者に対するカウンセリング等 社会的援護の充実などの適切な施策を講じ、これらの者が円滑に社会復帰できるよう努めること。」(参議院 99年12月2日)

また、公安審査委員会においても、前述の破防法棄却決定において、

「通常の社会生活を営めるように環境を整備し,様々な情報に接する機会をできるだけ多く与え,その正常な社会復帰を促進することが肝要と考えられる。」

と述べ、脱会信者の社会復帰問題について、特に配慮を呼びかけていました。
しかし、公安調査庁が独自に認定した約500人の構成員の問題は、現実はこれと全く反対方向に進んでいることを意味しています。
  かつて公安審査委員会は、破防法棄却決定の中で、

「公安調査庁は,同年(※96年)9月末の時点でも在家信徒は,約6300人存在する旨主張しているが,その根拠となる具体的証拠がなんら示されておらず,在家信徒数に関する公安調査庁の主張を認めることはできない。」

と認定したことがありました。「根拠となる具体的証拠がなんら示されていない」という点においては、今回の請求も全く同じです。

公安調査庁による恣意的な数字の操作

実は、96年9月末時点で公安調査庁が主張した「6300人」の在家信徒数は、翌年1月の破防法棄却決定で「根拠がない」として公安審査委員会から否定されたあと、公安調査庁はその数を一気に五千数百人減らし、「500人」にまで引き下げたのです。これまで主張してきた数字に根拠がなかったことを公安調査庁自ら認めたということです。
その後公安調査庁は、97年から98年にかけて、在家信徒数については「多数」とだけ表現して具体的な数の公表を控えていましたが、99年12月、団体規制法の観察処分の請求時点で、在家信徒数を突然「1000人」と打ち出してきました。さらにわずか1カ月後の処分決定時には、出家信徒の数が突如150人増えました。これらの数字の変更についての根拠も同様に何ら示されていません。実際には、この時期は逆に脱会者が相次いでいたのです。

主宰者・公安調査庁と「思想規制法」

  このような重大な人権侵害が生み出される根本の原因は、突き詰めれば、はじめに述べた「主宰者」の問題に行き着きます。つまり、公安調査庁は、麻原開祖を名ばかりの「主宰者」に勝手に据えることによって、物言えぬ当の「主宰者」に代わって公安調査庁が勝手に「本団体」を規定し、構成員の認定を行なっているのです。「本団体」側が全く知り得ない状態で、また、公安審査委員会のチェックすら及ばない密室で、公安調査庁による全く独自の認定が行なわれ、それがまかり通っていることが問題なのです。「本団体」の真の主宰者は公安調査庁である、と言わざるを得ないゆえんです。

この問題は、別の大きな人権侵害をもたらす結果にもなっています。つまり、「麻原開祖が主宰者であること」が「麻原開祖の影響力があること」にすり替えられることによって、「麻原開祖が主宰する団体」が「麻原開祖の影響を受ける者たち」に置き換わり、これによって、「本団体」に属しているかどうかの認定は、「麻原開祖の影響を受けている=麻原開祖を信じているか否か」が基準になってしまうのです。
公安調査庁の「すり替え」によって調査や認定の基準が置き換えられたがゆえに、教団に属さない脱会信者個人にまで調査と監視が拡大し、しかも、その基準は、個々人の内面の思想や信仰そのものなのです。
脱会者だけでなく、教団や教団信者に対する調査でも、その傾向ははっきり現われています。2000年に観察処分が適用されて以来、定期巡回作業のように繰り返されている立入検査では、個々人の教材・写真の所持数を細かく調べあげてリスト化したり、個々人の信仰の度合いを測るために予め用意した質問を向け回答を詳細に記録するなどが当たり前のように行なわれています。つまり、立入検査が、「団体の活動状況を明らかにするため」の「物件の検査」という本来の趣旨から完全に逸脱して、施設に立ち入ると同時に、個々人の心の内面にまで踏み込んでいく「思想検査」に変質してしまっているのです。この実態はまさに、「団体規制法」ではなく「思想規制法」と言わざるを得ません。

適用根拠の喪失と粉飾決算

以上、今回の更新請求に関する根本的な問題として、「主宰者」の問題、あるいは「構成員」に対する人権侵害の問題について説明してきました。この法律がここまで自己矛盾を来たし、変質してきた根本的な原因は、そもそも無差別大量殺人行為を行なう危険性が全くない対象に対して、無理矢理観察処分を適用しようとするがための歪みにある、というほかありません。
観察処分の適用から9年が経ちましたが、無差別大量殺人行為の兆候など微塵も見出されることはなく、再発防止処分が請求されるような事態もまったく生じませんでした。本来ならば、ずっと以前に、観察処分は取り消されてしかるべきでした。しかし、公安調査庁は、処分継続を狙って「危険性」を強調したいがために、あまりにも理不尽な「主宰者論」にしがみついています。あるいは、危険物が9年経っても全く発見されないがために、信者の思想・信条にまで調査が拡大されています。
実態から懸け離れたところから出発しているがゆえに、やればやるほど、時が経つほどほころびが出、辻褄合わせが必要になってくるのです。しかし、それも限度があります。

架空の団体に対する架空請求、水増しされた構成員に基づく水増し請求、そして、「国民の生活の平穏」を確保するという本来の法律の目的に反して、ただ危険性を煽ることでこれまで維持されてきた観察処分。これを、さらに期間更新しようという今回の請求は、まさに公安調査庁による3年間の「粉飾決算」というほかありません。

あまりにも杜撰な公安調査庁の反論

今年の1月になって、わたしたちが昨年提出した意見書に対する公安調査庁の反論と追加証拠が開示されました。
先ほども述べましたが、麻原開祖の主宰者性についての疑問については、公安調査庁は、麻原開祖の控訴審関係の判決文等を提示するのみでした。内容の不十分さはすでに指摘しましたが、もっとも驚いたことは、法律雑誌(「判例時報」)に掲載された判決文のコピーを証拠としてきたことです。当然個人名等はすべて匿名とされ、麻原開祖ですら「A」とか「A′」と記されています。法廷や拘置所の中での麻原開祖の発言は、人名がすべてアルファベット表記のため、その内容をどう評価していいのか、わからない箇所も少なくありません。
97年破防法の請求時には、公安調査庁が、スポーツ新聞を含む多数の新聞記事を証拠として使用したことが問題になり、破防法棄却決定では、公安審査委員会もこれに厳しい批判を加えていました。今回、公安調査庁は、またしても同様に証拠価値のないものを証拠として提出してきました。
また、両団体に属さない「構成員」の問題に関する質問書や意見書については、とうとう何の回答も反論もありませんでした。辻褄合わせの限界が来たのではないかと思います。

請求却下の判断を

第1回の観察処分取消請求訴訟の判決で、裁判所は、公安審査委員会の判断が適法だったと認めた上で、最後にこう付言しています。

「この判断は、あくまで本件処分時(※2000年1月)の状況において本件処分が正当であったというにとどまるものであって、その後の状況の変化の有無は判断の前提となっていないのである。…したがって、本件処分を更に継続すべきか否かを検討するに当たっては、これらのすべての事情を十分に考慮することが切に望まれるところである。」

公安審査委員会の皆さまにおかれましては、これまでご説明しました様々な状況の変化、つまり、麻原開祖の状況の変化、教団の状況の変化、社会の状況の変化、そして、法律自体の変質とそれによる人権侵害の拡大など、十分にご考慮いただいた上で、個々の該当要件の判断に立ち入るまでもなく、今回の請求は不適法であるとして、当然に導かれる請求却下のご決断をしていただきたく、お願い申し上げます。

以 上

 

 

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