観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その10)「その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」は存在するのか?

 最後の要件である「⑤一般社会と隔絶した独自の閉鎖社会を構築している等」は、「その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」のカテゴリーに該当するとされる要件です。この要件は、これまで述べてきた①~④の各類型に縛られることなく、これら以外に「同様の危険性がある」と見なした事実を何でも列挙できるという、文字通り“何でもあり”の要件です。ここで「危険性がある」と判断するのは、いうまでもなく、公安調査庁であり公安審査委員会です。
 2017年に成立した共謀罪は、捜査機関がある行為を「犯罪の準備行為」と判断する基準が曖昧だと指摘されていますが、団体規制法はまさにそのケーススタディの宝庫です。一例を挙げましょう。
 今回の公安調査庁による更新請求では、この「一般社会と隔絶した独自の閉鎖社会の構築」を裏付ける事実として、某集団(Alephではない)について「施設内で行う修行による騒音で近隣住民に迷惑をかけても真実の理由を説明しない」ことが具体例として挙げられています。そしてそのことが、近隣関係者による供述調書とこれを記録した公安調査官の報告書によって、「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」の証左とされています。
 もちろん、室内の物音で近隣に迷惑をかけてその理由をきちんと説明できないというのは、決してほめられた話ではありません。しかし、そのような不品行と「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」は本来まったく次元の違う話です。これを直結させて「無差別大量殺人の危険がある」という論理がまかり通るのであれば、簡単に一般市民を「犯罪の準備行為を行なった者」に仕立て上げることができてしまいます(ちなみに、近隣関係者の調書によれば、某集団関係者は苦情を聞いてすぐさま菓子折を持ってお詫び回りをしてしたとのことです)。

 別の例を挙げましょう。公安調査庁は、「(団体が)各種犯罪行為に関与した構成員を擁している」ことが、やはり「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」に当たると主張し、この「各種犯罪行為に関与した」とされる構成員数十名分のリストを、その罪名等とともに証拠として提出しています。しかし、そのリストの中には、犯罪の嫌疑が認められず逮捕も起訴もされなかった事例のほか、裁判で無罪判決が出たえん罪事件までもが含まれているのです。しかし、「各種犯罪行為」かどうかを判断するのは裁判所であり、警察や公調などの公安当局が独自に認定して良いものではありません。

 このように、「その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」という要件は、公安調査庁や公安審査委員会が調査結果をいかようにも「危険性」にこじつけることが可能です。そして実際に、団体規制法が規定する「必要最小限度」(3条)の自己規制を大きく逸脱し、同様に同法が厳しく自戒する「拡張解釈」(2条)と「濫用」(同前)の温床となっているのです。【続く】
 


<参考>団体規制法より
 
第2条 この法律は、国民の基本的人権に重大な関係を有するものであるから、公共の安全の確保のために必要な最小限度においてのみ適用すべきであって、いやしくもこれを拡張して解釈するようなことがあってはならない。

第3条 この法律による規制及び規制のための調査は、第1条に規定する目的を達成するために必要な最小限度においてのみ行うべきであって、いやしくも権限を逸脱して、思想、信教、集会、結社、表現及び学問の自由並びに勤労者の団結し、及び団体行動をする権利その他日本国憲法の保障する国民の自由と権利を、不当に制限するようなことがあってはならない。

2 この法律による規制及び規制のための調査については、いやしくもこれを濫用し、労働組合その他の団体の正当な活動を制限し、又はこれに介入するようなことがあってはならない。



 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その9)「殺人を勧める綱領」は存在するのか?

 「④殺人を正当化する「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義を綱領としている」についても、極めて無理のある認定といわざるを得ません。
 実は、過去4回の観察処分取消訴訟において、この「殺人を正当化する教義」に関する公調・公安審の主張が、裁判所に認められたことは一度もありません。
 2001年の東京地裁判決では、

「確かに、教団の教義が原告主張のように改められたことは、前記認定のとおりであり、このことが表向きだけのことで実質的には従来どおりの教義が行われていると認めるに足りる証拠はないから、教団に法5条1項4号該当性(引用者注:上記④の要件を指す)があるというのには疑問がある。」

として公調・公安審の主張は退けられています。その後の各判決(2004年、2012年、2017年)でも、Alephの教義について新たな判断は示されていません。
 裁判所のこのような姿勢の背景には、破壊活動防止法に基づく解散請求の弁明手続きで、麻原尊師が述べた次のような発言があります。
 
 

「オウム真理教には、先程述べましたとおり、タントラ・ヴァジラヤーナとして六ヨーガ、あるいはカーラチァクラ・タントラを含めて瞑想法がございます。今、わたしどもは起訴勾留の身でございますけれども、わたしの説いた内容が一般の信徒に対して誤解を招くとするならば、それはやはり封印しなければならないと考えております。」

(1996.5.16 東京拘置所)

 
 
 このように、麻原尊師はタントラ・ヴァジラヤーナの教義の中で危険とされる教え(上記の文脈では、いわゆる「五仏の法則」を指す)を封印することを表明し、教団側もこの方針に従った措置を取ったのです。

 さらにいえば、そもそも宗教上の「教義」は、組織運営上の「綱領」と同列に扱い得るものなのでしょうか。つまり、この「④殺人を正当化する教義を綱領としている」の要件については、何をもって「綱領」とするのか、という根本的な問題があるのです。
 「綱領」とは、「団体の立場・目的・計画・方針または運動の順序・規範などを要約して列挙したもの」(広辞苑)をいいます。Alephにおいて「団体の目的・方針・規範等を要約して列挙したもの」といえば、宗教理念・運営規則・コンプライアンス規程の3つがこれに当たると考えられます。かたや、Alephにおける「教義」は、大小2000からなる麻原尊師の膨大な説法群から成り立っており、要約も列挙もされていませんし、上述のとおり、中には封印されたものもあり、まったく「綱領」としての体を為していません。
 観察処分では、Alephの主要な経典や教本ではなく、退会者らの証言などに依拠して、公安調査庁の職員の手によって「オウム真理教の教義」なるものが要約されて提示されています。そして、現実には誰の行動規範にもなっていない、この「教義」が、団体の「綱領」とされてしまっているのです。Alephが掲げる宗教上の教義と、公安調査庁が独自に要約して綱領化した「オウム真理教の教義」との間に大きなギャップが存在するゆえんです。
 
 もし、あえて教義を引き合いに出すとすれば、不殺生をはじめとする五つの戒めを持すること、すなわち、仏教のいわゆる「五戒」(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒戒)の教えが、すべてのAleph会員にとっての宗教上の生活規範として、要約され列挙されたものに相当するでしょう。
 つまり、公安調査庁が独自に要約した「オウム真理教の教義」は、殺人を暗示的に勧める団体綱領であるとされていますが、Alephでは、逆に、不殺生を明示的に勧める教えを重要な生活規範としています。したがって、Alephは、世俗における法令遵守及び宗教上の持戒の理念に基づき、明確に殺人等の犯罪行為を禁止している綱領を有しているといえるのです。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その8)「無差別大量殺人行為当時の役員」が現在も役員なのか?

 「③麻原尊師が現在も団体の代表者であり、ひかりの輪代表である上祐史浩氏が現在も団体の役員である」についても、この認定は極めて不当なものです。
 麻原尊師については、「団体」の活動を把握して何らかの指示を出したり方針を示したりすることが不可能であることはもちろん(前記①の項参照)、構成員ですらない以上(前記②の項参照)、代表者でなどあり得ないことは明らかです。
 これについては、2017年9月25日の観察処分取消請求訴訟判決で、

「松本(引用者注:麻原尊師)は、長期にわたり東京拘置所に収容されており、平成8年頃には、接見した弁護士を介して、本団体の構成員に対するメッセージを発するなどしたこともあったが、以来、本件更新決定時に至るまで、同様のメッセージを発したと認めるに足りる証拠はなく、また、松本は、平成20年6月10日に二女及び二男と面会したのを最後に、面会をしていないのであって、本件更新決定時において、松本が原告の代表者及び主宰者であるとはいえないともいい得る。」

と認定されているとおりです。

 また、上祐氏の存在が処分理由にされていることについては、Alephとしてはまったくあずかり知らぬ話で、まさに“とばっちり”というほかありません。公安調査庁自身も認めていることですが、ひかりの輪が上祐氏を代表役員に選んだ決定にAlephは一切関わっていないのです。これは、観察処分の対象団体が「Alephとひかりの輪が一体となった、一つの組織体」であるとする、公安調査庁の「2団体一体論」(現在は「山田らの集団」を含めた「3団体一体論」)から生じた矛盾です。その結果、いわば巻き添えをこうむるかたちで、他の団体による決定の法的効果がAlephにも及んでいるのです。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その7)「無差別大量殺人行為に関与した構成員」が現在も構成員なのか?

 次に、「②麻原尊師と、両サリン事件に関与した3名が現在も団体の構成員である」についてはどうでしょうか。
 まず、麻原尊師については、すでに述べたとおり、2008年以降、家族や弁護士ですら全く接見ができておらず、外部と一切音信不通の状況にあるのですから、「団体」の活動に構成員として参加する実態など皆無です。

 両サリン事件に関与した3名とは、確定死刑囚として東京拘置所に収監されている元オウム真理教信者のことです。麻原尊師と同様、「団体」の活動に参加する構成員としての実態は全く存在せず、また、Alephへの入会手続きを取ったこともありません。
 この死刑囚3名については、旧オウム真理教当時から交流のあった一部の信者・元信者らとの間で、差入れや宅下げを通じた生活用品のやりとりのほかに、拘置所職員の立ち会いのもとで面会が行なわれています。これを公安調査庁は、「無差別大量殺人行為を行った団体」との接点として危険視しているのです。
 しかし、それはあくまでも「死刑確定者の心情の安定に資すると認められる者」(刑事収容施設法第120条)として、公調・公安審と同じく法務省傘下にある拘置所の許可を受けた接見行為であり、団体活動とも無関係です。もし、それらの面会が「犯罪の実行を共謀し、あおり、又は唆すもの」(同第113条)に該当するようなものであれば、拘置所側の一存でいつでも面会を禁じることができるのです。法務当局において「心情の安定に資する」と認められて行なわれている面会を「無差別大量殺人行為に及ぶ危険性」にこじつけるというのは、あまりにもナンセンスといわざるを得ません。

 このように、たとえ何も実態がなくても、ただ公安調査庁が構成員だと見なせば、一方的に構成員扱いされてしまうところが、団体規制法の恐ろしいところです。2017年の国会でいわゆる共謀罪を含む法案が可決されましたが、その際、野党などが強く懸念していた「(知らないうちに)一般の人が対象に」される構図は、発想(“犯罪行為の事前規制”)を同じくする団体規制法において、すでに現実のものとなっています。
 そして、これまで常に水増しされてきた公安調査庁発表の構成員数を見る限り、麻原尊師や他の3名の死刑囚に限らず、何の実態も本人の自覚もない「構成員」が、実に数百名単位で存在すると思われます(詳しくは、過去の記事「「増える信者数」の謎謎謎」を参照してください)。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その6)「首謀者の影響力」は存在するのか?

 更新請求の第一の根拠は、「①麻原尊師が現在も団体の活動に絶対的な影響力を有している」でした。
 公安調査庁によれば、ここでいう「影響力を有している」とは、「特定の者の言動が、団体の活動の基本的方向性を左右する力あるいは内容に変化を生じさせる力を有している」こととされます。つまり、麻原尊師が2017年12月の更新請求時点の「団体」の活動内容を変更させられる状況にある、というのが①の意味するところです。
 しかし、麻原尊師については、1995年に身柄を拘束されて以来、20数年にわたって外部との連絡が厳しく制限されてきました。特に2008年以降は、例外的に面会等が認められている家族や弁護士とすら、面会を含めて一切音信不通であり、外部から完全に遮断された状況が続いています。このことは、当の公安調査庁自身が公安審に提出した証拠からも裏付けられています。
 そのような状況にある麻原尊師が、「団体」側――Alephであれひかりの輪であれ、あるいは「山田らの集団」であれ――とコミュニケーションを取り、現在の「団体」の活動を自ら把握して何らかの指示を出したり方針を示したりすることなどおよそ不可能であり、現実からかけ離れた想定といわざるを得ません。
 したがって、今回の更新請求が行なわれた時点で、麻原尊師の言動が「団体の活動の基本的方向性を左右」したり、「内容に変化を生じさせ」たりする状況になかったことは、明らかです。つまり、麻原尊師は、団体規制法でいう「団体の活動への影響力」を有してはいないのです。

 もっとも、この「特定の者の言動」については、現時点の言動だけでなく過去における言動も含まれるとする解釈もあり、実際、公調・公安審もそのように主張しています。これは、団体規制法が禁止する拡張解釈(第2条)の疑いがありますが、仮にそのような理解に立ったとしても、やはり麻原尊師について、①の要件を単純に当てはめることはできません。
 なぜならば、公安調査庁が依拠している団体規制法の解説書によれば、無差別大量殺人行為の首謀者が「自己の影響力を利用して団体に対して、平和的な活動を行うべき旨指導している」ような場合、このような「影響力」については適用要件から除外するものと記されているからです。
 麻原尊師は、Alephの前身である旧オウム真理教当時、破壊活動防止法に基づく解散請求が行なわれた際の弁明手続きにおいて、信者らに対するメッセージとして、
 
 

「将来において、オウム真理教が法の規制を破り、そして破壊活動を行なうことは決してないし、またわたしも、そのような指示をするつもりはない。また、もう一つ言えることは、もしそのようなことがわかったら、即座に止めたいと考えています。」

(1996.5.16 東京拘置所)

 
 
と述べています。つまり、麻原尊師はここではっきりと、「自己の影響力を利用して団体に対して、平和的な活動を行うべき旨指導して」いるのです。

 そしてAlephは、麻原尊師が22年前に示された「平和的な活動を行うべき旨指導」を受け止め、これを指針の一つとして、不殺生の教えの遵守をはじめとして、破壊活動・無差別大量殺人行為とは正反対の宗教的実践を行なっています。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その5)観察処分の「5つの要件」とは?

 それでは、ここで団体論から少し離れて、そもそも観察処分とは一体何なのか、ということについて見てみましょう。
 「観察処分」とは、団体規制法に規定されている処分の一つです。観察処分が適用される条件は、

 1.団体の活動として無差別大量殺人行為を行なった団体で、
 2.以下に示す5つの要件のいずれかに該当し、
 3.団体の活動状況を継続して明らかにする必要があると見なされた場合

です。ここでいう5つの要件とは、

(1)無差別大量殺人行為の首謀者が現在も団体の活動に影響力を有す
(2)その行為に関与した者が現在も団体の構成員である
(3)その行為が行われた当時の団体の役員が現在も役員である
(4)殺人を明示的又は暗示的に勧める綱領を保持している
(5)その他無差別大量殺人行為に及ぶ危険性がある

です。
 この法律を本件に当てはめると、「無差別大量殺人行為」とは、地下鉄サリン事件と松本サリン事件を指します。「首謀者」とは、麻原彰晃こと松本智津夫、すなわち麻原尊師とされています。

 手続きとしては、まず公安調査庁(略して「公調」)が無差別大量殺人行為を行なった「団体」を特定して、その「団体」への観察処分を公安審査委員会(同じく「公安審」)に請求します。その後、公調の請求に基づいて公安審が審査を行ない、そこで請求を認める決定が下されれば、公調によって観察処分が実施されることになります。処分を受けた団体には、団体活動について公安調査庁長官に報告する義務と、公安調査官及び警察官による立入検査に応じる義務が課せられます。

 人権侵害の度合いの強い観察処分は、本来3年を超えない期間に限定された処分ですが、処分は「更新」をすることが可能です。公調が処分の更新を請求する際も、基本的には、上記と同様の要件に基づいて、同様の手続きで審査されます。現在、Alephなどに行なわれている観察処分は、2000年に決定された3年間の観察処分(原決定)が、2003年、2006年、2009年、2012年、2015年の5回にわたって3年ごとに更新を重ねてきたものです。

 今回、2017年11月に公調が公安審に対して行なった更新請求では、

 ①麻原尊師が現在も団体の活動に絶対的な影響力を有している
 ②麻原尊師と、両サリン事件に関与した3名が現在も団体の構成員である
 ③麻原尊師が現在も団体の代表者であり、ひかりの輪代表である上祐史浩氏が現在も団体の役員である
 ④殺人を正当化する「タントラ・ヴァジラヤーナ」の教義を綱領としている
 ⑤一般社会と隔絶した独自の閉鎖社会を構築している等

などが、請求の理由として挙げられました。
 しかし、これらの理由はいずれも全く不当なものです。
 一つずつ見ていきましょう。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その4)対象は「Aleph」と「ひかりの輪」だけではない

 さらにいえば、公安調査庁が調査対象と位置付けるこの「団体」は、「Aleph」と「ひかりの輪」という2つの団体だけで構成されているわけではありません。
 公安調査庁によれば、「ケロヨンクラブ」や「人権救済基金」と称する他の小グループや、いずれの団体・グループにも属さない構成員など併せて数百名のいわゆる「脱会者=元信者」らが、「その余の構成員」として、Aleph・ひかりの輪とともに一体の「団体」を構成しているとされているのです。このほかにも、「ロシア連邦内の信徒」というカテゴリーの構成員が、やはり数百名存在するとされています。
 これら諸々ひっくるめて、単一の組織体を構成する観察処分の対象団体として、

麻原彰晃こと松本智津夫
を教祖・創始者とするオ
ウム真理教の教義を広め
、これを実現することを
目的とし、同人が主宰し
、同人及び同教義に従う
者によって構成される団

が、かつて存在し、今も尚存在する――これが、この「団体」を規制する側に立つ公安調査庁の考え方です。
 最近の報道によれば、本年(2017年)11月中にも予定されている6回目の観察処分更新請求では、2015年初頭にAlephから退会した元信者らのグループが、「山田らの集団」として新たに対象団体に組み込まれるとのことです。
 こうして見ると、「Alephとひかりの輪が一体となった、一つの組織体」という言い方は、あまりに簡略に過ぎ、かえって現実を覆い隠してしまっているといわざるを得ません。事態はより複雑なのです。
 そもそも組織的なつながり(結合性)などなく、むしろ相反関係にある団体やグループ同士を一体のものに仕立て上げ、さらに、そこからこぼれ落ちたはずの多数の脱会者らをもひっくるめて、あたかも単一の団体が存在しているかのように見せかけているだけではないか。――今回の裁判でAlephが主張した「架空団体論」は、このような認識に基づいて、実は10年近くも前から訴え続けてきたものでした。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その3)観察処分、真の対象団体とは?

 さて、ここまでは、2017年9月の東京地裁判決に即して、観察処分の対象団体がどのように特定されているのか(あるいは「されるべき」なのか)について見てきました。
 しかし、その際に用いてきた「Alephとひかりの輪が一体となった、一つの組織体」という表現は、今回の訴訟での裁判所による整理の仕方にならったもので、実のところ、これはあくまでも便宜上の表現に過ぎません。
 ほとんど知られていないことですが、観察処分の対象団体は、公安調査庁によって正しくは、「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び同教義に従う者によって構成される団体」と特定されています。
 この長々しい名称は、観察処分を規定する団体規制法における「団体」の定義(=特定の共同目的を達成するための多数人の継続的結合体又はその連合体)を意識したもので、上記の「オウム真理教の教義を広め、これを実現すること」が、ここでいう共同目的に当たります。
 これこそが、観察処分の真の対象団体です。
 重要なことですので、もう一度繰り返します。公安調査庁が観察処分の対象団体と位置付けているのは、

麻原彰晃こと松本智津夫
を教祖・創始者とするオ
ウム真理教の教義を広め
、これを実現することを
目的とし、同人が主宰し
、同人及び同教義に従う
者によって構成される団

という「団体」です。
 そして、公安調査庁によれば、この「団体」が、

→1990年代に無差別大量殺人行為(両サリン事件)を行ない、
→それを原因として2000年に観察処分の適用を受け、
→以後、2003、2006、2009、2012年と同処分を重ねて更新され、
→現在も、2015年に更新が決定された同処分の適用を受けている、

とされています。この間に起きた「オウム真理教」から「アレフ」への組織再編(2000年)や、アレフの退会者らによる「ひかりの輪」の設立(2007年)などは、あくまでも団体内部の「内輪の出来事」に過ぎず、「団体」としては、一貫して単一の組織体として活動を続けてきた、というのが公安調査庁の見方なのです。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その2)「2団体一体論」VS「架空団体論」

 もともとAlephとしては、今回の取消訴訟を提起するに当たって、

「Alephとひかりの輪が一体となって一つの組織体を構成しているという「2団体一体論」はフィクションである。そのような組織体は実在しない架空の団体に過ぎず、よって処分は無効である」

という「架空団体論」を主張し、観察処分全体の取り消しを訴えていました(一方のひかりの輪は、2015年に決定された観察処分のうち、「ひかりの輪を対象とした部分」についての取り消しを求めていました)。
 東京地裁は、この「2団体一体論」に立った公安審査委員会側の論拠を一つ一つ検討した上でこれを退け、Alephとひかりの輪が「一つの組織体」であると評価することはできないと認定しました。その一方で、Alephが「対象団体の少なくとも一部を構成する」ことを否定せず(つまり「架空団体論」にまでは踏み込まず)、Alephへの処分はそのまま是とし、結果として、ひかりの輪にかかった処分(のみ)を取り消しました。
 要するに、「2団体一体論」の虚構性を指摘して観察処分全体を取り消すよう求めたAlephの請求に対して、判決は、「架空団体論」を部分的に採用して、処分全体ではなく一部(ひかりの輪部分)の取り消しを認めたという意味で、Alephにとって「一部勝訴」というわけです。
 公安審査委員会は、今回の東京地裁の判決を不服として、ひかりの輪のみならずAlephに対しても控訴しました。これは、公安審査委員会から見ればAlephに対して「一部敗訴」したからにほかなりません。2007年にAleph退会者の一部がひかりの輪を発足させて以降、「2団体一体論」を前提に観察処分を更新し続けてきた公安審査委員会としては、10年前に遡って、10年間にわたる過ちを指摘されたことになるわけですから、両者いずれに対しても、何としても覆さねばばらない判決ということになるのでしょう。【続く】
 
 

観察処分取消「一部勝訴」判決と観察処分更新請求について
(その1)Aleph、再び「一部勝訴」す

 2015年に公安審査委員会が決定した観察処分の取り消しを求めてAlephが公安審査委員会を訴えた裁判で、2017年9月25日、東京地方裁判所は、Alephの請求を一部認める判決を下しました。一審判決に限っていえば、2011年に判決のあった前回の取消訴訟(観察処分に基づく教団側の報告義務について一部取り消しが命じられた)に続いて、2回連続の「一部勝訴」ということになります。
 ただ、今回の判決は、Alephとは別に同様の取消訴訟を提起していた『ひかりの輪』への観察処分の取り消しを認めた一方、Alephについては処分の取り消しを認めたわけではありません。
 それなのに、なぜAlephの「一部勝訴」なのでしょうか。
 今回の判決が、ひかりの輪への観察処分を違法としてこれを取り消した理由は、「Alephとひかりの輪が一つの団体と認めることはできない」というものです。もともと現在の観察処分は、2000年に決定された3年間の観察処分(原決定)を、漫然とあたかも運転免許証のように、2003年、2006年、2009年、2012年、2015年と5回にわたって更新を重ねてきたものです。この2000年当初の原決定時の対象団体が単一の団体だったため、公安審査委員会はその後の更新に際してこれを踏襲し、前回2015年の更新決定時
も、「Alephとひかりの輪が一体となった、一つの組織体」という認定をしていました。
 今回の訴訟の最大の争点となり、結果的に判決において退けられたのは、この「2団体一体論」でした。つまり、観察処分を更新するための前提条件ともいうべき「対象団体の特定の仕方」に根本的な欠陥を認めたわけです。【続く】