3 違憲審査基準に適合しないこと
本条例は、前記のとおり、信教の自由、結社の自由、プライバシー権、居住・移転の自由など民主社会の基盤たる権利を侵害するものであり、このような憲法で保障された基本的人権を制約する法規が合憲であるとされるためには、厳格な違憲審査基準が適用されるべきである。
本条例は、以下のとおり、厳格な違憲審査の基準である目的の正当性、必要性、手段の相当性のいずれの観点からも、その基準をクリアするものではない。
(1) 目的が正当化されないこと
第1には、目的との関係で、本条例に基づく規制がなされなければ、区民の安全や周辺住民の日常生活の平穏が確保されないかが問われるべきである。
しかし、団体規制法に基づく観察処分がなされた2000年以降、足立区内で、区民の安全や周辺住民の日常生活の平穏が脅かされるような行為が、観察処分を受けた団体及びその構成員とされる者らによって起こされたことは一度たりともない。また、現実に区民や周辺住民の安全や日常生活の平穏が脅かされるような事態にもない。
したがって、区民の安全や周辺住民の日常生活の平穏を確保するとの目的を掲げて規制を加えなければならない必要性がそもそも存しないというほかない。
にもかかわらず、本条例が制定されたのは、地下鉄サリン事件などを過去に引き起こしたとされる宗教団体オウム真理教に対する不快感や根強い差別的偏見があるからである。本条例制定の動機は、原告の施設があるのは何となく不気味であり不快でもあるという自治体や住民の感情にすぎないのである。
しかし、このような不快感、感情は、憲法上の権利を制約してまでも保護されなければならない利益とはいえない。
信教の自由や結社の自由の保障の眼目は、民主社会における少数者の人権保護にある。それらの自由を、制約するべき緊急性も現実的危険もないままに、多数決原理によって制約するようなことがあれば、憲法の保障の趣旨・目的を根本から覆すことになることは自明である。
(2) 規制する必要性が存在しないこと
本条例での対象団体は、団体規制法に基づく観察処分を受けた団体である。したがって、観察処分に付されたことによって、法に基づくさまざまな規制を受けてきている。本条例は、その観察処分を受けた団体を対象として、さらに、足立区で活動する役職員・構成員、施設及び活動内容の報告義務等を課すものである。
観察処分を受けた団体に対する法律上の規制の内容は、下記のとおりである。
@ 役職員の氏名・住所・役職名、構成員全員の氏名・住所の報告
A 団体の活動の用に供されている土地建物の所在・地積・用途、土地についてはその具体的使用状況を含めて、同じく建物については、部屋ごとに具体的な使用状況を含めかつ平面図を添付しての報告
B 貸付金については貸付先、貸付残高、弁済期日、担保権の有無の報告、借入金についても同様の報告
C 預貯金、有価証券の種類銘柄などあらゆる財産の報告
D 本部のみならず支部分会に至るまでの会議の内容、意思決定の内容の報告
E 機関誌紙の名称、発行部数、編集人、発行人の氏名の報告
F 公安調査官による土地建物への立入り、設備、帳簿書類その他必要な物件の検査、警察職員による同様の立入検査、この立入検査を拒み妨げ忌避した者に対する1年以下の懲役または50万円以下の罰金という罰則、現行犯逮捕も可能な規定、したがって、捜索押収にあたるような強制手段ではないというが、事実上は強制と同様の立入検査
G これらの結果得た情報は、都道府県知事市町村長の請求により提供され、一般市民も知る機会を得ること
このように、観察処分それ自体が、被処分団体に対して、報告義務を課しており、また、施設に対する定期的な立入検査がなされて、その活動状況が国家につぶさに明らかとなっている。
本条例は、そのうえで、観察処分を受けた団体に対して、足立区長に対して、役職員及び構成員の氏名・住所、団体の活動の用に供されている土地建物、団体の意思決定の内容等の報告を求めている。しかし、観察処分での報告に加えて、足立区長に上記の内容の報告をすることを義務づける必要があるとは、とうてい、考えられない。
(3) 規制手段の相当性が存在しないこと
本条例の規制の基本は、観察処分を受けた団体に対する報告義務であるが、報告内容のほとんどは、区ホームページで公表されることになっている(本条例施行規則3条)。また、報告をしなかったり、区の調査に協力しなかったりした場合、あっせんの命令、脅威や不安を除去する措置を講ずるべき命令や住所地からの立ち退き命令に従わなかったときには、団体のみならずその構成員に対しても過料の制裁が科せられることになっている。
一方、本条例により保護しようとする利益は、単なる周辺住民の不安や脅威である(本条例1条)。
国際人権自由権規約18条3項は、「宗教又は信念を表明する自由については、法律に定める制限であって、公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる」として、法律による制限及び公共の安全を理由とするべきであることとともに、必要最小限の制限にとどめることを明記している。
本条例による規制の方法は、この国際人権自由権規約に照らしても、比例原則に反して必要最小限の範囲内にとどまっているとは言い難い。
4 特定の団体を狙った措置条例であること
団体規制法の規制自体が特定の団体の規制を目的とした、いわゆる措置法であることは明白であるが、本条例は、団体規制法による観察処分を受けた団体を対象とするものであり、観察処分を受けた団体は、オウム真理教といわれる特定の団体であるから、それのみを対象とする処分的条例は、法規範としての性格上、許容されないというべきである。そもそも、法や条例は、一般的、抽象的法規範を定めるものであり、特定の団体や人々に対してのみ適用されてはならない。法律や条例の要件の適合性を争うことが封じられている構造になるからである。
本条例に即していうならば、観察処分を受けた団体であるということだけで、足立区長に対して一定の報告義務や周辺住民に対する説明義務を直接に負う構造になっている。すなわち、観察処分に処せられたというだけで新たな足立区長による処分が科せられるのであり、そもそも処分をするにあたっての行為規範(実体要件)がないのである。当然、それを争う法的手続も存在しない。
このような法律は、英米では私権剥奪法と呼ばれ、イギリスでは、1870年の法律によって私権剥奪法は廃止され、1938年に法喪失宣告がなされた。また、アメリカ合衆国憲法第1編9節3項及び同10節では、私権剥奪法の禁止を明言している。すなわち、反逆罪などの重罪を犯したとして、裁判手続によらないで(裁判手続におけるような形で事実の認定をすることなく)特定の人から市民としての権利ないし資格を剥奪する立法を禁止しているのである。
このような法規範は明らかに平等原則違反(憲法14条)であり、適正手続(憲法31条)違反である。
仮に、このような法規範の制定が許されるとしても、その場合の要件は、特定の団体に対して規制を加えなければならない緊急性があって、かつ、現在かつ明白な現実的危険があり、守るべき法益が優先する場合に、厳しく限定されるべきである。
しかし、本条例の場合には、緊急性も現実的危険も、また、守るべき優先的利益も存しないのである。
5 本条例が条例制定権の範囲を逸脱していること
(1) 本条例と団体規制法との関係
本条例は、団体規制法に基づく観察処分を受けた団体に対して、さらに厳しい処分を課すものである。しかし、本条例は、以下に述べるように、団体規制法の趣旨に違反しており、条例制定権の範囲を逸脱しているのであって、憲法94条に違反するものである。
憲法94条及び地方自治法14条1項は、普通地方公共団体の条例制定権を根拠づけるとともにその範囲と限界を定めたものである。そこで、普通地方公共団体が制定する条例は、法令に違反することができず、法令に違反するような場合はその効力を有しない。
条例が法令に違反するかどうかを判断するには、両者の対象事項と規定文言のみの対比のみならず、各々の趣旨、目的、内容及び効果を比較したうえ、法令が当該規定により全国的に一律に同一内容の規制を施す趣旨かどうかを検討し、両者の間に矛盾抵触があるかどうかを見極めなければならない(最高裁昭和50年9月10日、大阪高裁平成10年6月2日)。
本条例と団体規制法との目的についてみるに、本条例の目的は、「区民の安全及び地域の平穏の確保」と定められており(条例1条)、団体規制法の目的は、「国民の生活の平穏を含む公共の安全の確保」と定められていることから(法1条)、前者が後者に包含されていることは文言上明白である。実質的にも、規制団体に対する監視・規制措置を講じることで、国民(区民)や地域の安全・平穏を守るために制定された点で、両者の目的は同一である。
したがって、本条例が団体規制法に違反しているか否かは、法が、同一の目的での条例によるより強度の規制や二重の規制を許容しているかという観点から決せられるべきである。
両者の規制方法についてみるに、団体規制法は、観察処分を受けた団体に対し、報告義務を課しており、また、当該団体の施設に対する定期的な立入検査がなされて、その活動状況が国家につぶさに明らかにされるというものである。さらに、当該団体に対して、一定の要件のもと、再発防止処分によって、当該団体の施設の一部につき使用禁止にすることができる(団体規制法8条)。
一方、本条例も、観察処分を受けた団体に対し、足立区長に、役職員及び構成員の氏名・住所、団体の活動の用に供されている土地建物、団体の意思決定の内容等の報告を求め、また極めて曖昧な要件のもと、団体及びその構成員に対し、住所地からの立ち退き命令等の措置を講じることができるというものである。
以上によれば、団体規制法と本条例の規制方法は、実質的に重なり合っており、本条例は、団体規制法の規制に対し、要件を緩和し、規制対象を拡大し、より強度の規制を定めたものといえる。
(2) 団体規制法は同一の目的による条例での規制を許容していないこと
しかしながら、以下に述べるとおり、このような法律上の規制を上回る厳しい規制を加え、規制の対象としていない事項についても規制対象とする条例を団体規制法が許容しているとは到底考えられない。
ア 憲法上重要な権利の侵害を伴う警察的規制である
本条例による規制は、信教の自由、結社の自由、プライバシー権、居住・移転の自由など精神的自由を含む重大な憲法上の権利を直接的に侵害する性質を有するものである。また、その目的は、区民の安全や地域の平穏を確保するためとするもので、専ら警察的規制(消極目的規制)であるところ、地域的特殊性による規制の必要性は何ら存在しない。
このように、地域的特殊性が存在せず、重大な人権侵害を伴う警察的規制は、本来的に、全国一律の規制によるべき性格の規制であり、団体規制法が、条例による個別の規制を許容しているとは解せない。
イ 国家による規制と定めている
団体規制法32条は、公安調査庁長官による観察処分に基づく調査結果の提供を地方公共団体にすることを定める一方で「個人の秘密又は公共の安全を害するおそれがある」事項の提供を除外している。また、同法31条が、政府に対し法の施行状況を国会に報告することを義務付けていることは、団体規制法の規制が、重大な人権侵害を伴う警察規制であり、国会が定めた法律に基づき、国会のチェックのもと、政府が当該規制を実施することを示している。したがって、団体規制法は、地方公共団体が法の定める調査と同様ないしそれを上回る調査を独自の判断で行うことができ、被処分者に二重に報告義務を課すことができるなどということを許容しているとは、とうてい、解されない。
ウ 法自身が必要最小限の制約を規定している
団体規制法2条、同3条は、法による規制が、基本的人権の重大な制約を伴うことを自認した上で、必要最小限度の適用、拡大解釈の禁止、当該人権の不当な制約禁止を規定している。これは、法が定める規制が上限であり、それより強度・広汎な規制を明確に禁じていると解するべきである。
エ 法の規制を明白に超えている
前記のとおり、観察処分に基づく報告を受けた公安調査庁長官においては、被処分団体から得た団体の施設に関する情報については、「これを公にすることにより、当該団体を他からの観察・監視にさらすだけでなく、誹謗・中傷や暴力的干渉を引き起こすなど、当該団体の権利その他正当な利益を害するおそれがあるとともに、場合によっては犯罪行為を誘発するなどして公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがある」として、その開示を認めないとしている(甲5)。しかし、本条例は、それを超えて公表するとしているのであり、明らかに法の規制をも超えている。
団体規制法8条は最終的な規制手段としての「再発防止処分」を定めているが、団体の施設の使用禁止処分の対象から「専ら居住の用に供しているもの」を除外しており(同条2項2号)、その他の処分においても、対象を「団体の活動として」「団体の活動の用に供する」等の文言で限定している(同法8条、9条など)。これらは、一市民である団体の構成員等の生活の基盤を奪うことを禁止する趣旨であり、本条例のように、各地方公共団体の広汎な裁量によって、団体のみならず、団体の構成員に対しても、住所地からの立退きを命ずる条例を法が許容していないことは明らかである。
もし、住所地からの立退き条例が許容されることになれば、他の地方公共団体も同様の条例が制定されることで、事実上、多数派の不快とする感情によって、団体の構成員が日本中から居住する場を奪われることになりかねない。このような憲法の基本原理に反する条例を法が許容しているはずがない。
オ まとめ
以上のとおり、団体規制法は、上記目的のために、全国一律の許される最高限度の規制を定めたものであり、条例による強度ないし広汎な規制を許容していない。
(3) 国際人権自由権規約も人権制約は法律によるべきとしていること
前記のとおり、国際人権自由権規約18条3項は、「宗教又は信念を表明する自由については、法律に定める制限であって、公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる」として、人権の制約は法律によることを明記している。
この国際人権自由権規約の規定によれば、法律の範囲を超えた本条例によって、信教の自由を侵害する人権制限をすることが出来ないというべきである。