実は、このような「団体」の規定の仕方は、95年の破防法の請求時にすでに用いられていたものでした。
当時、公安調査庁による破防法の請求対象は、
「麻原彰晃こと松本智津夫を教祖・創始者とするオウム真理教の教義を広め、これを実現することを目的とし、同人が主宰し、同人及び信徒、信徒を指導する者その他の同教義に従う者によって構成される団体」
とされていました。
しかし、97年に破防法の請求を棄却した公安審査委員会は、公安調査庁による対象の「不特定性」を退け、拡張解釈を認めない決定を行なっていました。
当時の公安審査委員会による棄却決定には以下のように記されています。
このように公安審査委員会は、対象団体とオウム真理教の関係を「不即不離の関係」とする一方で、その構成員については明確に特定されていることが必要であるとして、対象団体の「不特定性」を排除し、その「拡張性」に歯止めを掛けていました。
【資料B】破防法棄却決定における構成員の特定
(構成員の特定)
「本団体構成員による一連の不法事犯に対する刑事手続の進行等により本団体の反社会性がより明らかになるにつれて構成員数も減少し、平成6年6月の時点で出家信徒約1、000人、在家信徒約1万人を超えていたものが、同8年11月の時点で、出家信徒は約500人、株式会社神聖真理発展社への会員登録をした在家信徒は約500人と大幅に、かつ急速に減少している。このような構成員数の減少は、本団体の組織としての力を減退させ、将来、暴力主義的破壊活動を行うことを企て、又はそのために必要な準備をすることを困難ならしめるものと認められる。
なお、公安調査庁は、同年9月末の時点でも在家信徒は、約6、300人存在する旨主張しているが、その根拠となる具体的証拠がなんら示されておらず、在家信徒数に関する公安調査庁の主張を認めることはできない。」
(1997年1月31日 公安審査委員会による破防法棄却決定)
公安審査委員会のこの決定を受けて、その後公安調査庁は、構成員数を一気に数千人分切り下げざるを得なくなくなりました。
したがって、破防法棄却の時点(97年1月)では、対象団体の構成員をあくまでも「オウム真理教に所属する出家及び在家信徒」に限定することによって、対象となる「団体」とオウム真理教との間に等身大の関係(=不即不離)が一応成立していたと見ることができます。
しかし、公安審査委員会は、その後制定された団体規制法による観察処分の原決定(00年1月)において、公安調査庁が具体的な根拠を示すことなく主張する「構成員約1650人」という数字をそのまま追認する決定を行ないました。一方、当時、実際にAlephに所属していた会員数は、これよりも500人少ない1146人でした。
つまり、ここにおいて観察処分の対象は、等身大の「オウム真理教」とは別の、5割近くも水増しされた「団体」として一方的に認定されてしまったわけです。そして、対象団体の不特定性と拡張性は、このときからまかり通っていくことになるのです。
【資料A】破防法棄却決定における対象団体と「オウム真理教」の関係
(本団体とオウム真理教の関係)
「本団体は、前記のとおり松本及び松本の説くオウム真理教の教義を信奉する多数の信徒の継続的結合体であるから、本団体の宗教財産の管理維持、業務及び事業の運営のために設立された宗教法人「オウム真理教」と概念的には区別されるべきものである。しかしながら本団体の活動が宗教法人「オウム真理教」の名の下に、同法人の財産及び人的組織等を利用して行われているという実態にかんがみれば、本団体は、社会通念上は宗教法人「オウム真理教」を中核とし、これと不即不離の関係にあるものと解するのが相当である。」
(1997年1月31日 公安審査委員会による破防法棄却決定)