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拡張される団体規制 〜「構成員不詳」「主宰者不在」の架空団体への観察処分[4-(1)]

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4.今求められる団体規制法の再検証

(1)立法過程から存在した大きな矛盾

 以上見てきたとおり、今回の更新決定の論理破綻は明らかですが、そもそもこの団体規制法という特異な法律は、その立法段階から大きな矛盾を内包していたということができます。
 この法律の目的とするところは、名目上は「無差別大量殺人行為の再発を防止する」こととされています。しかし、そのことを理由にして教団への新たな規制を立法化することについては、当時の国会でも、少なからず飛躍があることが自覚されていました。
 実際、国会審議の場で公安調査庁長官自身が、97年1月にオウム真理教への破防法が棄却されて以降の状況を踏まえて、「明白な危険性」の存在を否定していました。

【資料P】団体規制法制定時の国会審議(「明白な危険性」の否定)

○魚住議員 ただ、今大臣が御説明になった、麻原に帰依しているとかいう言葉がありましたね、指導者と仰いでいるという趣旨なんでしょうけれども。あるいは謝罪していないと。それは団体としての意思表明もありましょうし、個々の行為者の問題もあると思うんですが、それはある意味では各人の気持ちの中の話だと思うんですね。三つ目に出たのが、サリンをつくった人たちも出てくるよというようなことで、これは確かにその危険が一歩近づくなとは思うんですが、何かプラントの部材を買い入れたとか、いわゆるそういう具体的な事実は特にないんですか。もっと、何というんでしょうか、そんなよく見えないような話じゃなくて、具体的な事実として何かないのかなと思っているんですが。

○木藤公安等調査庁長官 オウム真理教の現在の危険性についてでございますけれども、確かに御指摘のような無差別大量殺人というものに直接結びつくような、いろいろな化学的な物質とかあるいは例えば銃器とか、そういったものの発見には至っていないわけでございます。(99年12月2日参院法務委員会)


○木藤公安等調査庁長官 現時点における調査結果では、教団について危険性はあるもののさきに申し上げた明らかなおそれを認定するまでの状況に達しているとまでは断じ得ないということでございまして、現行破防法に基づく再度の規制請求を行うことは困難であると考えております。(99年11月25日参院法務委員会)

 しかし、「はじめに結論ありき」の審議はそのまま強行され、辻褄を合わせるために法律の目的規定を修正し、「国民生活の平穏の確保」を書き加えて決着が図られることになったのです。

【資料Q】団体規制法制定時の国会審議(目的規定の修正)

○北村議員 今話題になっております住民の平穏という問題につきましては、確かにオウムそのものを見て今危険かどうかというのははっきりしません。しかし、はっきりしていることは、その存在が地域の住民に非常に不安を与えているということで、現実に首長が違法行為まで行わざるを得ない、住民登録の拒否なんかの、そういう事態を巻き起こしている。そういうことを避けることが大きな目的であるということで、単に原案であれば「公共の安全」ということで締めくくってありますけれども、「公共の安全」というのはオウムの危険性に対して公共の安全を保つためにというそういう対置の構造でありますけれども、今回の場合は、特に住民の不安、そしてそこに起こる無法状態というか違法状態、そういうものを避けるのも大きな目的であるということで、目的規定に「国民の生活の平穏」ということを、大きい意味では「公共の安全」という中に入りますけれども、それをあえて加えたというのが目的におけるその限定であります。(99年11月25日参院法務委員会)


○江田議員 私は、オウムがまたかつてのような大量無差別殺人を行う危険が現実に感ぜられるほどにあるかというと、ちょっとそれはわかりません、将来は。しかし、今の段階でそこまでなっていると言うのはちょっと言い過ぎじゃないか。
 しかし、さはさりながらオウムの活動の活性化によって地域の皆さんに大変な不安を与えている。地域の皆さんは、これは本当に誇張じゃなくて夜も寝られないという。ですから、二十四時間監視体制をつくってオウムの一日の出入りなどについても目を光らせている。何かちょっと質問をする、オウム側の対応が悪い、そうすると、これはそこで大変鋭い摩擦が起きる。下手をすると地域住民の皆さんが頭にかっときて何かをやるということだってあるかもしれません。あるいは地方自治体の首長さん方が住民票の移動も拒否するとか、あるいは子供が学校に来てもらっちゃ困るとか。居住移転の自由というのは憲法上保障された権利なんです。学問を受ける、これももちろん憲法上保障された権利なんです。それさえオウム関係者に拒否するという自治体の首長さん方が出てくる。
 さてそういうときに、これは一方でオウムの人権もあるけれども、他方で住民なりあるいは自治体なりの憲法秩序というものが揺らいでいるわけです。そこでどうするかということがあってこういう法律が出てくるんで、そこに初めてこの法律の合憲性というのが出てくるんじゃないか。
 ですから、オウムが何かやっている、だけれども、地域の皆さんは皆安心している、首長さん方も別にいらいらしていない、そういう状況のもとでこの法律を出すのだと、これは違憲のおそれがあるというように思います。そういう意味を込めて「国民の生活の平穏を含む」ということをあえて入れたんだと思いますが、いかがですか。

○臼井法務大臣 今、委員がお話しのとおりだと私は思います。
 まさに私が先ほど申し上げましたように、この条文の「公共の安全の確保に寄与することを目的とする。」という前に、修正をいただきまして、「国民の生活の平穏を含む」、こういうふうに書き込むことができたということはそういう意味で大変意義がある、こういうふうに申し上げた次第でございます。(同上)

 まさに“モラル・パニックMoral panic”(「ある時点の社会秩序への脅威とみなされた特定のグループの人々に対して発せられる、多数の人々により表出される激しい感情」)ともいうべき矛盾した論理がここに表れています。つまり、「根拠の明らかでない住民不安によって生じた住民側の違法・無法状態(教団関係者の転入・就学拒否等)を解消するためにオウムを規制する」という没論理的な感情論こそが、この法律の出自にほかならなかったのです。

 

 

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